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大阪地方裁判所 昭和32年(ワ)2888号 判決 1959年10月15日

原告(反訴被告) 竹中国治郎

被告(反訴原告) 丸岡由彦

主文

被告(反訴原告、以下同じ)は原告(反訴被告、以下同じ)に対して金二万円及び之に対する昭和三十二年五月二十二日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告に対する本訴請求の内その余は之を棄却する。

原告は被告に対し金二十五万円及び之に対する昭和三十二年六月三十日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は本訴民訴を通じて之を十分し、その九を原告、その一を被告の負担とする。

この判決は原告に於て金四千円の担保を供するときは第一項に限り、被告に於て金五万円の担保を供するときは第一三項に限り仮に執行することが出来る。

事実

原告(反訴被告、以下単に原告と称す)訴訟代理人は、被告(反訴原告、以下単に被告と称す)は原告に対して金五万円及び之に対する訴状送達の翌日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、被告は原告に対し、金二十五万円の約束手形金債権を有し原告に財産隠匿のおそれがあると称し、大阪地方裁判所より同庁昭和三十一年(ヨ)第二、二二六号動産仮差押決定を得て昭和三十一年十月十六日原告に対し動産仮差押執行をなした。

二、原告は未だかつて刑事訴訟はもとより民事訴訟にも関与したことなく、極めて平隠無事に老後を楽しんでいるものであるところ、昭和三十一年十月十六日原告は突如大阪地方裁判所執行吏吉本忠男外屈強な男子数名と共に原告の邸内に入り来り目星しい動産物件全部に対して仮差押執行をなし封印を施して帰つた。

三、原告としては六十余年の生涯に始めての体験で手の舞い足のふむ所を知らずその精神上受けた打撃は非常なものであつた。

四、被告は更に大阪地方裁判所に原告を相手取り約束手形金請求の本案訴訟を提起し、右事件は同庁第十九民事部に於て昭和三二年(カ)第三四〇号事件として審理された結果、昭和三十二年四月九日被告は原告に対して手形債権を有しないとの請求棄却の判決を言渡され、該判決は控訴の提起なくして確定した。

五、之を要するに、被告は担保せらるべき手形債権を有しないのに拘らず不法に原告に対し仮差押をなし来つたもので、之がために原告の平穏な生活を脅威し、原告が受けた精神的打撃は計り知れないものがあるから、その精神上の苦痛に対する慰藉料として金五万円を支払うを相当とする。よつて本訴に及ぶ。

と陳述し、被告の主張に対し、被告のなした前記仮差押執行の物件が原告の所有物でなく、訴外織田禎子、同株式会社永吉商店の所有物件であることは認めるが、原告が被告に対しその主張の如き債務を負担しているとの点は否認する。原告は訴外岡北電機工業所が被告より金二十五万円を借入れるに当り、被告の懇請によつて約束手形に裏書をなしたに過ぎない。原告はその裏書によつて些かも利得をした事実がなく、又原告は被告より金員を借入れた事実も存在しない。と抗争し、

反訴に対し、被告の請求は之を棄却する。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、答弁として、反訴請求の原因の内原告が被告主張の約束手形に裏書をなした事実のみ認めてその余を否認する、原告は前述の如く訴外岡北電機工業所が被告より金二十五万円を借入れるに当り右手形に裏書をなしたに止まり、右手形によつて利得もして居らず又被告より金員を借り受けた事実も存在しない。

と陳述し、立証として、甲第一乃至第三号証を提出し、証人岡北伊勢雄の証言及び原告本人尋問の結果を援用し、乙号証は全部その成立を認めると述べた。

被告訴訟代理人は、本訴につき、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、請求の原因第一項及び第四項の事実は之を認めるがその余の事実は之を否認すると陳述し、更に、

一、原告が本件仮差押の原因たる手形上の債務を負わないとしても、原告は利得償還債務を負担し、更に利得償還債務がないとしても右手形額面と同額の借入金債務を負担しているものであつて何れにしても原告は被告より金二十五万円の金銭債務につき差押えられるべき運命にあつたのみであるから、手形金債権で仮差押執行を受けたとしても精神的に受けた苦痛は当然之を甘受すべきである。

二、加えるに、被告が差押えた物件は原告の所有ではなく訴外織田禎子及び株式会社永吉商店の所有に属し、同訴外人等は右仮差押につき大阪地方裁判所に同庁昭和三一年(ワ)第四四八二号執行異議事件を提起したので被告は右仮差押を解除した。すなわち、被告は第三者の物件に対して仮差押の執行をなしたものであつて、原告が右仮差押執行につき精神上の苦痛を受けることはないからその損害賠償の請求は失当である。

三、仮差押の原因たる約束手形により被告は原告に金二十五万円を貸与するに際し、原告は自己の倉庫内に時価六百万円相当のモーターを所持して居り、又原告の兄弟が和歌山相互銀行の支店長であるから、右手形の支払期日には現金を持参して支払う旨約束した上、支払期日前に至り右手形金債務を承認し且つ手形の呈示の猶予を求めたので、被告は遂に呈示期間を一日徒過するに至つた。右の如く原告は手形金支払の意思がないのに被告に対し手形の呈示の猶予をさせたのであり、之は原告の重大な過失であるから、仮に原告がその主張の如き損害を被つたとしても過失相殺をすれば被告は原告に対し何等損害賠償の支払義務はない。

四、以上の主張がすべて理由がないとしても、被告は原告に対する前記手形金二十五万円の債権を手続の欠缺により喪失したので、右手形額面と同額の利得償還請求を有し、右請求権がないとしても同額の貸金債権を有するので、右債権と損害賠償の債務とを対等額に於いて相殺する。と陳述し、

次に、反訴請求として、原告は被告に対して金二十五万円及び之に対する訴状送達の翌日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は原告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、訴外企業組合岡北電機工業所は昭和三十一年三月二十一日原告に宛て、額面金二十五万円、支払期日昭和三十一年四月二十日、支払地振出地共大阪市、支払場所近畿相互銀行梅田支店と定めた約束手形を振出し、原告は即日訴外河井芳男に、同訴外人は被告に対して夫々裏書し、被告は右手形の所待人となつた。そこで被告は右手形の支払期日に支払のため呈示しようとしたが被告が右手形の裏書譲渡を受ける際、原告が必ず、支払期日に現金を持参して支払うことを約束した上、支払期日前に於ても原告は現金を持参するから呈示を猶予してほしい旨懇請したので、被告は之を信用し遂に呈示期間一日を徒過して了つたため、被告は右手形上の遡及権を喪失するに至にた。

よつて被告は原告に対し右手形金と同額の利得償還請求権を有するのでその支払を求める。

二、仮に前項の主張が認められないときは被告は原告に対し金二十五万円の貸金の支払を求める。即ち被告は原告に対し昭和三十一年三月二十一日金二十五万円を弁済期同年四月二十日の約で貸与した。

原告は右借入金債務の担保のために前項記載の手形を被告に譲渡したものである。

と陳述し、立証として、乙第一、二号証を提出し、証人岡北伊勢雄同藤元秀雄、同河井芳男、同札埜義造の各証言及び被告本人尋問の結果を援用し、甲号証は全部その成立を認めると述べた。

理由

一、本訴についての判断

被告が原告に対し金二十五万円の約束手形金債権を有し、原告に財産隠匿のおそれがあるとして大阪地方裁判所より同庁昭和三一年(ヨ)第二、二二六号動産仮差押決定を得て昭和三十一年十月十六日原告に対し動産仮差押の執行をなしたこと、被告は原告を相手方として大阪地方裁判所に約束手形金請求の本案訴訟を提起し、右事件は同庁昭和三二年(ワ)第三四〇号事件として、係属し、審理の結果昭和三十二年四月九日請求棄却の判決が言渡され、該判決は控訴の提起がなく、確定したこと及び被告のなした前記仮差押に係る物件は原告の所有でなく訴外織田禎子、同株式会社永吉商店の所有物件であることは当事者間に争がない。

よつて案ずるに、前記争なき事実によると、被告は原告に対して約束手形金債権を保全するために仮差押をなしたところ、後に約束手形金請求の本案訴訟に於て敗訴の判決を受け、該判決は確定したのであるから、被告は実体法上の権利がないのに拘らず仮差押をなしたこととなり、従つて、その仮差押は違法であると言わなければならない。そうだとすると、被告のなした違法な仮差押の執行は被告の過失に基くものと認めるのが相当である。けだし、仮差押は原則として口頭弁論を経ず、一応の疏明だけに基いてなされており、又実体上の請求権の存否の確定を本案訴訟に譲りながら、自己の責任に於て権利の保全をはかるものであつて、相手方の受忍によつて自己の利益を得るのであるから、のちに権利がないとされた以上は原則として違法な執行行為につき過失があると考えるべきである。そして本件に於ては右認定を覆えすに足りる証拠は存在しない。次に原告本人尋問の結果によると、右仮差押に係る物件の中に小説家故織田作之助の遺産が含まれていたことなどの事由により、右事件が多数の新聞紙上に相当せん動的な記事で報道されたため、原告は二十日間近く外出を思い止まらなければならなかつた程の少からざる精神的な打撃を受けたことが認められ、他に右認定に反する証拠は存在しないから、原告主張の如く被告のなした仮差押が原告に対して精神上の損害を発生させたものであることを肯認出来る。

ところで被告は、原告が本件仮差押の原因たる手形上の債務を負わないとしても、原告は右手形の額面と同額の利得償還債務若しくは借入金債務を負担しているので、何れは金二十五万円の金銭債務につき被告より差押えられるべき運命にあつたのであるから、本件仮差押の執行によつて受けた精神的苦痛は当然之を甘受すべきであると抗争するので考えるに、被告のなした仮差押の被保全請求権が約束手形金債権であることは前段説示の如く争のないところであるから、右仮差押が適法か違法か或いは原告に対して不法行為となるか否かは専ら右仮差押の被保全請求権たる約束手形金債権の存否、右仮差押の保全の必要性の有無、その執行方法の適否等によつて決せられるべきところであつて、原告が被告より他の原因に基いて保全処分若しくは強制執行を受けることが予想されたか何うかということは全く関係がないと言わなければならないから、被告の右主張は理由がない。次に被告は、仮差押に係る物件はすべて原告の所有でなく第三者の所有に属するから、原告が仮差押によつて精神上の苦痛を受ける筈がないと抗争するので、この点について判断する。先ず仮差押に係る物件がすべて第三者の所有物であることは前段説示の如く当事者間に争のないところであるが、原告が本件仮差押によつて精神上の苦痛を被つたことは前認定の通りであるので被告の主張はこの点に於て既に失当と言わなければならない然し誤つて第三者の所有物に対して仮差押をなしたのであるから物件の所有者でない原告としては何等痛痒を感じない筈であるとの被告の主張は一応尤ものようにも思われるので更に考究するに、成立に争なき甲第一号証によると本件仮差押は原告の住居に於て原告の保管占有に係る物件に対してなされたものであることが明白である。そうだとすると、たとえ仮差押を受けた物件が第三者の所有であるとしても原告としては通常之により相当精神的な打撃を被るものと考えるべきであり、そして本件の如くその執行行為が違法なときは、原告の被つた精神的な損害と被告のなした仮差押との間にいわゆる相当因果関係の存在を肯定すべきであるから、仮差押を受けた物件が第三者の所有に属するからといつて、原告に対する不法行為の成立を否定することは出来ない。よつて被告の右主張も採用に値しない。被告は又過失相殺を主張するが、被告の主張する原告の過失というのは、被告がその所持する約束手形を呈示期間内に呈示せんとしたのに対して支払期日に現金を持参する等と称して被告を信用させ、以つて被告をして呈示期間を一日徒過せしめたということに尽きる。仮に右の如き原告の行為が過失に該当するとしても、それは、被告が本件仮差押をなす以前の事柄に関するもので、原告が被つた前認定の違法な執行行為による精神上の損害の発生又はその損害の拡大についての過失に該当するものとは到底考えられない。換言すれば、被告の主張する過失は、不法行為の過失相殺の規定に言うところの過失に該当しないものである。従つて右主張も採用出来ない。

被告は更に相殺の抗弁を主張するが、不法行為によつて生じた債務については債務者は相殺を以て債権者に対抗することが許されないのであるから右主張も理由がない。以上の如く、不法行為の成立を争う被告の主張は凡て採用し難い。

そこで進んで損害額について案ずるに、前認定の如く本件仮差押事件が新聞紙上に喧伝された点、原告が二十日間近く外出をはばかつた点、仮差押債権額が金二十五万円である点、仮差押に係る物件が第三者の所有物である点、その他原告が六十年以上の老令であること、右仮差押が間もなく解除されたと被告が主張するのに対し原告がこの点を明らかに争つていないこと等本件に現われた諸般の事情を考慮すると、原告の被つた精神的な損害は金二万円をもつて慰藉されるのが相当であると思料する。

従つて、原告の本訴請求は右の限度に於て正当として之を認容すべく、その余は失当として棄却を免かれないものであるから、被告は原告に対し不法行為による損害賠償として金二万円及び之に対する訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和三十二年五月二十二日より完済に至る迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

二、反訴についての判断

原告が、被告主張の振出人訴外企業組合岡北電機工業所、額面金二十五万円、支払期日昭和三十一年四月二十日、支払地振出地共大阪市、支払場所近畿相互銀行梅田支店、振出日昭和三十一年三月二十一日、受取人原告と定めた約束手形を即日訴外河井芳男に対して裏書譲渡したことは当事者間に争がない。

よつて案ずるに、手形上の利得償還請求権は手形所持人のための最終的救済措置と考えるべきところ、被告は原因関係上の請求権の存在をも主張しているので、先ずこの点について判断することとする。そこで、成立に争なき乙第一号証、証人岡北伊勢雄、同藤元秀雄、同河井芳男、同札埜義造の各証言及び原被告各本人尋問の結果を綜合すると、被告は訴外藤元秀雄の仲介により昭和三十年十二月中頃原告に対して金二十五万円を利息日歩十七銭、支払期日翌三十一年二月中頃と定めて貸渡し、その際担保として前記約束手形と振出日及び支払期日の欄だけが異る手形一通を受領したが、右支払期日に貸金の返還を受けることが出来なかつたので更にその後右手形を書換えて前記約束手形の裏書譲渡を受けたものであることが夫々認められる。前顕証人岡北、同藤元、同札埜の各証言及び原告本人尋問の結果の内右認定に反する部分は措信出来ない。そうだとすると、原告は被告に対して貸金二十五万円及び之に対する反訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和三十二年六月三十日より完済に至る迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務が有るから、反訴請求は正当として之を認容すべきである。

三、よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用した上、主文の通り判決する。

(裁判官 石垣光雄)

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